辿り着いたら 言葉という性器 または真の猟奇は山口百恵



韓国映画「猟奇的な彼女」(2001) が公開され話題になっていた頃、韓国人の特に女の子たちは、猟奇、猟奇的という言葉(よpき、よpきジョk)をよく使っており、私はまだ映画を観ておらず、その存在に気づくこと多少遅れたので、なぜ「猟奇」などという、余程のことを意味する言葉を使っているのだろうか、解せずにいた。後、実際映画を観て合点はいくのだが。要するに、それまで大いに抑圧されている女子、特に妙齢の、が、見事に口汚く、それまで男子のみに許された、人前で言うのが憚られる言葉と表現の数々を、やすやすと、華麗に駆使するヒロインの姿が勇気と感銘を与えた。それら総てを網羅する「言語の暴力革命」を担った言葉とその新しい女子像がここで総じて「猟奇」となり、用いられ、定着したのだ。それが、映画という公の思想装置で、しかも史上初「肯定的」に表わされていたことが、更に衝撃的かつ革命的であった理由。これによってそれまでの対女子抑圧を覆していく革命家は、しかもうら若き美女、チョン・ジヒョンでこの現象が、それまでの厳格な「女子は、従順に男に服従しその役に立ってこそ、さもなくばこの世で存在できない」という、歴史社会での絶えざる重圧のかかった地層をひとつひとつ、壊し始める契機になる。映画自体は他愛もない、というか、多少がっかり旧態依然、な収束だったように記憶する。それでも、女子が口にすべき、していいという極めて限られた語彙とそれがもたらす身ぶりと態度があって、それを拒否すること、そして男のみに許された罵り語の呪術的な力を無理やり手に入れてしまう、そのスリルは、そしてその革命の海の中に自ら身をを投じる、臨場の高揚感は、堪えられないものだったに違いない。罵り語の自由。専ら言葉のみの暴力による「猟奇」革命。

それと同じような現象は、それよりしばらく前だが、日本でもあって、それはおそらく、山口百恵が70年代後期にただひとりで、やったあれ、だったのだろうと考える。あれというのは、無論、「んバカにしないーでよ」とその歌唱の中で切った啖呵だ。衝撃的な、普段下部に置かれた女子の存在、その地位引き上げへの抗議、を万人に否が応でも認めさせる暴力が、山口百恵の三白眼とその一瞬の吐息に漲った。よってこれが、25年あと韓国で形を変えつつ起こる「猟奇」革命の前夜だったのだ。





そしてたとえば、解剖学的、月経ある、なし、以外に、遂行の要素としての性(社会集団の脈絡の中で合成される性)というものがあって、そこではやはり人間の性の認識というのは、言語上の認識になる。つまり性の認識は、ほぼ、言語による自我認識と同時に始まる。とすると、言葉とはやはり性器ってことになるので、男の人は手に変え品を変え、女の人の性器はここ、ここ、と常に矢印をつけるようにその性を強制、強調しておかないと気がなかなかった歴史がある。つまり、日本語の女言葉みたいなものはその駄目押し、総仕上げということですね。

ちなみに、私は日本の諸々の「事件」にいつも興味があり、調べて飽き足らないのですが、このみのもんたの未解決事件特集(随分古い)を観て、凄い映像や凄い事件の内容を知るにつけ、ああ、これが本当の「猟奇」の言葉の意味だよね、と感慨ひとしおになったので貼っておく。


これら「猟奇的」事件の中で、私が気にかかったのは昭和59年名古屋ホステス殺人事件と、座間味僧死浜の銃殺腐乱死体遺棄事件で、前者に関しては野田貢犯人はこの番組のすぐ後に埼玉で逮捕されているらしいが、このビデオでは、5:56で貴重映像が視聴者のハートを鷲掴みのこと請け合いなので、是非観てね。凄いから。後者に関しては、時効まで容疑者門脇泰典は、捕まっていない。しかし、事件当時既に55歳で、片目失明しかかっている恐れもあり、時効までに死亡していないともいえない。後本土に帰って来て何度か目撃されているらしいが、それにしても、まず、死体が置かれたそうしの浜から、この人どうやって出てきたのかね。謎が多過ぎる。








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