覚醒剤を恥部に塗られて学ぶ いひひ話法

 


その後、毎日更新、のつもりが様々な障害に見舞われ、日本の大話題が山積してはいるものの(元総理射殺、選挙、統一教会等々)総て手つかずで、まずはこちらの、いひひ話法を世に問う才色兼備前科者からたのもう。こちらのお嬢さんはAV女優の結城るみなさんで、つい先日街録デビューも果たされた期待の(元)覚醒剤使用者。結城さんはなんでもシューインは、中等から入学、したものの、これが大層な引け目らしく、トーヨコキッズならぬバーキン族というのに入って万引の技術に切磋琢磨、警察までいったというなかなかの度量の持ち主。当時のマブダチがいまをときめくマルキドさんと、話題も豊富。実は今回の街録出演以前、家田荘子氏のチャンネルに出演されているのを既に拝見しており、そのショートカット美の新鮮さと、覚醒剤逮捕のあらましについてはほぼ把握してはいたものの、今回、街録ならではの更に細部に食い入った語りは、学ぶところ多し。

まず、いわゆる「更生」っていうと、前科や服役歴のある者に求められる「再犯」をしない意思表明のようなものが必須なんだろうが、これと、自分の内部を検証する「治療」(嫌な言葉だがひとまず)とは、無論同一ではあり得ないのだが、結城さん(そして社会も)そこを混同しておられる。或いは、その自己の内部検証と薬物の不可分の関係性について、表層的な認識しかない。よって、再犯を防ぐアフターケア治療セッションなんだか、記者会見なんだかわからないようなことを、「今日は正直に話します」ってまるで取り調べの刑事に話すかのようにする「告白」し始めるのだが、それにしても所詮向かっては街録三四郎のカメラなのだから、「正直」になることによる効果みたいなものは無論望めまいよ。だったら、ここへわざわざ喋りに出てくるのっていうのは何故なのかと、考えるに 1.金がないから宣伝効果を兼ねて 2.薬を実はやっているから「やってない」と捜査、世論を巻くためにフェイント目的 上記いずれか或いは両方というところだろうか。

中盤の下り、逮捕前後の描写で、結城さんを通報したのは実はお母さんだったのでは?なんて途方も無い邪推すらしてしまうが、何より法外に笑ってしまったの結城さんの、えへへ、ですらない、確固たる「いひひ」のほぼ息継ぎと同時の頻繁な発声法で、これが、どうやらいまの彼女の心境、呼吸法、ひいては今後の方針の最も忠実な表明となっている点。

つまり、結城さん、いわゆる「薬物常用」から、それほど時間が経っておらず、やめているかどうか以前に、一連の事の経緯を咀嚼しているかどうかもあやしい、程度の地点におられる、と考えるのが妥当。よって、また歌舞伎町や水商売に既に戻っている(!?)ものの、同じことは繰り返しません、今後は自分と同じような境遇(売春と薬物人生)の人たちの支援をしたい、とか、人前で念じている場合では、本来ない筈。

が、往々にして、売春業や薬物使用界隈の人間はおつとめは終わり次第すかさずそこに舞い戻るのが常。そこにわざわざ舞い戻り、薬物はまった人がわざわざ薬を拒否し続けるというのは、難しい、以前に何か論理的でないのだが、それ以外に仕事がないことが多いからという単純な事実に加えて、薬物は次回いつどこで、と自分から探さなくても、機会があれば、捕まらなければまたやらないでもない、という程度のスタンスの輩も無論無数にいて、結城さんは、現在の時点ではその類型にお見受けする。薬物は逮捕されたから、釈明、程度に公に話をしているけれども、地獄をみてやめたいと思っているわけではない。だから、この人にとって、この主題とは対自分自身ではなく、公に対していかなる態度をとったらいいか考えあぐねている状態なのだろう。覚醒剤を生きている間二度と打たない(この人は血管注射系ではないとすると、二度と吸わないというべきか。または二度と性器に塗らせない)という決意というか覚悟というか、を持つに至らないのだろうし、しかしそれもなく業界に戻って薬やらないでいられると思うとは、再発する気まんまん、或いはもう使用再開していると解釈されてもやむを得ない。ちなみに、思いついたんですけど、シューインの吸引、とか、キャッチコピーどうだろう。

今回の話を聞いていると、結城さん、何点かの記念碑的主要誤識をされているようで、例えば以下:

結城るみなさんの主張

1.枕営業で女優業で一流になるのは、恥ずべき、あってはならないことだが、自分は枕等後ろ暗い過程を経ずにAVである程度認知を得た(だから誇らしい)

2.学習院の社会的地位のある出自から、薬を恥部に塗られてAVに出るようになったからといって、転落人生と思われても困る 

3.学習院の肩書に物言わせながら数点の詐称をしてきたが、(初等ではなく中等から入った)(卒業していないが卒業していることにしている)そういうことを含めここで訂正をして全てを明かす心の準備をしてきた(だから詐称になりませんよね)

冒頭挙げたように、自分の内面をつくづく検証したり(これは薬物使用、中毒治療について考える際不可欠です)、自分と話をつけたりするのに、必要なのは、どのぐらい「自分自身」に正直になることができるか、ということで、そこに他者やソーシャルメディアなんかは障害物にしかなりません。(だから対話治療とか精神分析がいるのであって、そこで必要になるのは厳密な個人性の秘匿です)集団治療は別なんだけど))そういう意味で、無分別不特定多数の群衆に向かって「正直」になる謂れなど誰にもなく、寧ろそこには百害あって一利なし。街録なんて、いわずもがな(「実話ナックルズ」)だよ。街録をセラピーとかカウンセリングとかソーシャルワークに使えるとか、まさか本当に思っている人はいないだろうし、この結城るみなさんもさすがに、そこまでトチ狂ってませんよね。っていうか、いないといいな。あれ。えっと。いひひ。



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