翔ぶ 翔んでる 翔んだ とんでもねえ 特攻服とノーパン喫茶にみる日本史

 


ヴァージンヴィズ(あがた森魚)の「さらば青春のハイウェイ」ライブ映像を探したところ、果たせず、代わりに上が。いずれにしても貴重な、名演なので、拝んでいると、様々な思いが去来する。まず、ヴォーカルのあがた氏が着ている光り物のつなぎは、たとえば先日ここでも挙げたモモヨも、そして多くの人が(光り物か否かはあれど)七十年代中盤から八十年代こぞって着ていた(とくに八十年代に光り物に進化していったのか)必須アイテムだったと思われる。その他、YMO、永ちゃん矢沢永吉、宇崎竜童とダウン・タウン・ブギウギ・バンド、横浜銀蝿等のライダーズジャケットかつなぎか、という純然たる暴走族(ヤンキー流派)分派してなお必須アイテムとしても脈々と受け継がれる、日本文化となっている。それ以外にも、サーファー系として、白あるいはそれに準じたやはりつなぎを着るのは女子の間でも大人気、合衆国西海岸系の女王として君臨したファラーフォーセット(チャーリーズエンジェルズ)も七十年台つなぎを着ているね。特に後日本で、竹の子族というさらにふくらみあるいは引き摺るシルエットのだあざやか(光系)つなぎに鉢巻をまとった子どもたちが原宿の歩行者天国にて踊る宗教集団となって注目されるのだがこのヴァージンヴィズ時代のあがたさんは、これらの中では「近未来」系意匠のもとに、これを着こなしておられるのではないか。

つなぎについて考えるのはいまが初めてでは全くないのだが、このつなぎ、例えば合衆国では囚人とか奴隷、に着せていた、とりあえずの作業服が始まりとすると、日本の場合は、やはり特攻服、なんだろうか。そしてその後自動車関係(修理からガソリンスタンド等)労働に従事する層が専ら着用。例えば、七十年代とは、みなが死に物狂いで「戦後は遠くなりにけり」と享楽を貪っているようで、実は毎日戦争について、つまり処理しきれない戦争トラウマの処理を集団では試みつつ家に帰れば各々内面で苦しんだ時代だったのではないだろうか。割と最近、泉麻人の昭和のテレビ番組について考察する記事というのを読んだ時、刑事ものの多さとその題材が戦争の傷跡について大なり小なり触れるものが殆ど、とあり。そうか、やはりそうなのか。


ちなみに、ヴァージンヴィズの名曲「さらば青春のハイウェイ」はこのテレビドラマ(?)「翔んだライバル」のテーマ曲だったらしいが、私は今日ユーチューブで初めて観て驚いている。この頃翔んでる、という流行語があり、それから派生して「翔んだ」という言葉もまた頻繁に用いられた当時の雰囲気を反映したもの。これはいうなれば、その後「ぶっ飛び」に発展していく概念並びに表現なんだろうが、翔んでいるというのは、呆れた流行りの、という揶揄の意味が含められている、圧倒されてしまう、人や現象を指して云ったもの。翔んでるというのは英語でto fly のそのままの訳応用なのか。(カッケー、いかす、否定形で、流行らない、受け入れられない)しかし、日本語のとんでもない、に結局語源が遡るのであれば、かなり昔からある可能性も。そして、この翔んだ、という単語を冠するテレビドラマや映画が複数あったはずで、上のそのひとつ。それにしても、日本のこの時代の若い男性は醜男すれすれが好んで登用されているが、これは意図的なものだろうか。尾美としのりとか、たのきんとか。とか考えているうちに皆還暦なので、日本芸能、とんでもねえよ栄えありますね。

そして最後に、上のあがた氏のコーラスの女子がメイド喫茶服で、凄い先見の明あるね、八十年代初頭で、と思い、更に考えてみると、これ、当時の下半身露出風俗喫茶(ノーパン、または下着着用ながらそれを可視、特化したサービス業)から敷衍したテーマなのだったか。

こんなふうに、日本は戦争の傷跡を一心不乱に否認して、傷だらけの集団意識無意識を生き延びた、という証として。誰かがいつでも走ってる。

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