子育てプレイ 

おそらく私は、東京シューレ性暴行事件と、曽野綾子と、それぞれ無関係ながら熱い話題について、考えていたんだろう。

東京シューレは、不登校児の受け皿として今や老舗の、それを巡る「ようやく明るみに出た」性暴行醜聞について、で、曽野についても、もはや云わずとしれたあの辺の戦犯譲りの極右道、その右に出る者もいまい、という古参の人物。以前風の便りに「老人は早く死ね」と公言して憚らず、と聞いたのも既に十年近い昔?検索すると、アッまだ曽野綾子まだ生きている。ってことは当人はその「早く死ね」という残酷な罵りの対象、つまり自分は(早く死ななければいけないような)老人では、ない、という認識で、ということなのか。

などと考えているうちに、何故か、というか必然的に、「子育てごっこ」の後日談が知りたくなって、ネットを眺める。

78年の直木賞受賞作品 三好京三「子育てごっこ」は、きだみのるの非摘出児で、十一まで正規の教育を受けずに父(とはいえその続き柄を明かしていない)とともに放浪していた娘の千尋を養女にして育てる、という実話に基づく小説で、加藤剛と栗原小巻出演の映画まである、という当時の文部省推薦の代物。それまで岩手の山村で分校の教師をやはり教師の妻とともに従事しつつ、小説創作修行をしていたという、それはそれで社会の周縁に位置した作者を一躍文壇へ躍り出させ、後は揺るぎない地方名士に仕立て上げたのもこの作品で、賞の選者の一人が、上記曽野綾子だった(そうな)。

その一大ブームが定着して月日の流れること十年弱、大学進学にともない上京、一浪の後千尋さんは東女へ入学を果たすものの、学校には全く通うことなく、変りに夜の世界でたちまち勇名を馳せることに。大学は連続留年し、結局売春業で身を立てやよ励むところをフライデーにすっぱ抜かれ、文部省お墨付きの教育の勝利の絵に描いたような「子育て」物語の、大どんでん返しと相成った。それでもまだ飽き足りない世間に向けての、千尋さんの、養父、つまり三好京三による性虐待の被害にあっていた、という衝撃の告白は、その双六のあがりが「稀代の醜聞」であった、として、世間を狂乱の坩堝に陥れる。

すると、ユーチューブに「子育てごっこ」の一部があったので観てみましょう。


まず、あの小説としての「子育てごっこ」はもとより、その素となる実人生の出来事としてでも、十一、二歳を女児を、養子として縁組は行えたとしても、その関係をして「子育て」とすること自体まず無理、ということが分かります。いくら念入りに払拭されていても、そこに通底する「女児」を性的に見込んでいる視点があの手この手で見えすぎですね。或いはそういう児童ポルノ性は、この時代(七十年代後半)は野放しだったのだろうか。(だろうね。)

所謂「未就学児童」という蒙い世界に生きてきて、放置されればそのままどこまでも寄る辺のない少女を赤の他人の分校教師が救う、という設定は、裏を返せば、これは簡単に「身寄りのない女子供など大人の男子の思うまま」「しかも男はみな女(児)の陰部に夢中」という不文律、が前提になっており、「子育てごっこ」とは、その女児を性的に見込んでその旨味を当て込んでいるにもかかわらず、そのことだけはちゃっかり書かない、ということでようやく成り立った作品だった、とすると。三好の主張とは、自分が養女と築いた関係は、夾雑物のない信頼関係と正規の教育、つまり制度を捧げ持つことで、成功したもので、これは実父のしかし父親としては至って無責任で教育に貢献したことが一切ないきだに対する、三好の勝利でもあった。しかし三好と養女千尋さんとの実際の関係は「挿入以外の総て」だったということだから、実は効率のいい人身売買だったという結末。

この際、花柳幻舟が養女と三好の調停役(というか)千尋さんを駆け込ませた一時後見人))を買って出てからは、まさに「#ミートゥー」の元祖風糾弾が展開する。三好は(秘密裏に録音された)告白によって、逆説的に「挿入以外総ての性行為」を千尋さんとの関係で長年実践してきたことを、認め、この「子育てごっこ=親子プレイ」問題は大団円を迎える。

実際数年後、1)千尋さんが住んでいた部屋(三好名義)を出ることを引き換えに、2)三好があるまとまった金額を千尋さんに支払うことで(慰謝料ですね)金額忘れたが調べればすぐに出てくる筈 3)養子関係を解消、という事実上の示談手続きが行われ、醜聞の後始末とされた。

千尋さんは広瀬千尋の名義で手記とヌード写真集を発表、その後メディアから消えるが、三好京三はだいぶ後に「和解はとっくのむかしに済んでいる」と発言、加えてその著書に「千尋さんが「総ては悪い人に騙されて」と泣いて謝ったとものしている。これは、示談後なんとでも発言・釈明する権利が三好に独占された上での事実無根の創作でないとは誰も云えない。つまりそれら総て含めての示談だったのでは。と想像したくなる、笑ってしまうしかない内容なんだけど、考えるに、千尋さんの境遇で考えれば、身寄りのなさにつけ込んで性的に、或いは他者の人生総てを所有できるという認識のもとに、千尋さんをまんまと搾取した三好のおっさんが一番悪いひとちゃいまっかー、と思えてならない。更には、千尋さんの暴露が始まって三好の初期の反応を調べるにつけ、考えてしまうのは、三好にとって千尋さんとは「挿入しないだけ」の、老いた自分の自由になる「若い女」で、固く口止めをしているから安全な所有物だったんだろうなということ。だから、三好にとっては、極秘情報漏洩、ということはもとより千尋さんが「自分を裏切った」「自分に謀反をした」ことが打撃だったのかもしれない。

上記花柳幻舟を巻き込んだ糾弾失速する原因に「挿入がなかった」ということがある(?)が、これはつまり「挿入してないんだからそんなの茶飯事だろう。血がつながってないんだから、ジジイなんだから許してやれよ」という世論が前提となっていたのでは。かてて加えて、三好はその頃からもう不能だったので、挿入するもしないも、という状態(妻による証言)。だから尚更安心して、養女の陰部に夢中になった(ならせた)、ということだろうか。つまり、性行動の定義とは、挿入ではじまり射精で終わるものだから、それ以外は未遂・未満に過ぎないという前提がものをいいまくったということですか。

千尋さんはその後英国に行ってカタギになり「白人」と結婚したというが、その件について三好の書くことの嫌らしさと云ったら、上記「挿入未挿入」問答と同じくらい有罪の感がある。要するに千尋さんの上京後の夜デビュー報道で、最も浅ましい、恥ずべき、とされたのは千尋さんがブラパン(黒人専門)と解釈されたことだったのでしょうか?(ね)。三好の時代の世界観なら、そういうことになるのかね。その汚名を払拭してあまりあるその後の白人英人との縁組、て、何度も何度も書いているけど、それは書けば書く程、これさすがに、よく通ったね?編集者いなかったのか?という疑問が湧いてきてならない。



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